100メートルも走れなかった男のランニング日誌

走ってセロトニンを増やす! 初心者ランナー(50歳)成長の記録

ヤバい、セロトニンが足りない(2020年8月)

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お題「#この1年の変化」

ブログを始めた理由

ランニング(というかジョギング)を始めて半年がたった。もう習慣と言っても差し支えないだろう。全く運動習慣のなかったおっさんが、一日おきに5キロのペースで距離を積み上げている。今ではランニング予定日に走れないと何となく気持ちが悪い。飽きっぽいオレだがこの習慣は続けられそうだ。そう、趣味ではなく習慣なのだ。

何となく気分転換に走り始めたのだが、半年も継続すると自分の成長を残しておきたくなるのが人の情というものだ。そんなわけで自分の身体とメンタルの変化の記録がこのブログなのである。

セロトニン活動とは

朝の活動は朝活、パパとの活動はパパ活セロトニンを出すための活動は、やはり「セロ活」が妥当だろう。英語っぽくすると「セロトニング」かな。セロトニンを分泌させるための行為ということで、名詞(セロトニン)+現在進行形(ing)=セロトニング、である。

唐突にセロトニンの話題から入ってしまったが、このブログのテーマはランニングを通したオレの成長日記であり、同時にランニングでメンタルの安定を試みた記録の書でもある。

ランニングの記録とセロトニンに何の関係があるの?という方のために説明しておくと、走ると脳内にセロトニンという物質が分泌されるのだけど、それが不安やらネガティブな感情を緩和させる作用があるのだ。

つまり、オレは「不安を緩和させる」という後ろ向きの理由でランニングを始めたのだった。


走るきっかけ

2020年に50歳の節目を迎えたのだが、人生の後半に差し掛かろうというタイミングで日本はコロナが蔓延したわけだ。オレの勤め先はIT系なので、春先に即座にリモートワークに移行し、緊急事態宣言にともないGWを超え梅雨が過ぎ、異常な猛暑が訪れてもエンドレスで自宅勤務のリモートワークだった。

リモートワークの人なら経験してると思うが、起きて寝るまで自宅、平日も休日も同じ空間にいるのは気が滅入る。環境でオンオフの切り替えができないので、延々と会社に繋がれている気分になる。あんなに嫌だった通勤が、気持ちを切り替える儀式になっていて、それが有効だったのだと思い知った。

フリーランスであれば自由にカフェやらコワーキングスペースやらで仕事することもできたのだろうが、何と言ってもコロナ禍である。会社からは「自宅で勤務」という縛りが設けられていたのだ。しかも2020年の梅雨は長く湿度も高めであった。自宅に閉じ込められ、外は雨。何ならカビも生えまくりだ。閉塞感はマックスに達していた。

そんなわけでリモートワークは「自宅の刑」に変容しつつあった。


梅雨が開けた

長い梅雨の終わりの頃には、出社してた時のイライラとは違う、何だかよく分からない不安感が沸くようになっていた。毎日のように酒を飲んでいたのだが、まったく気分転換にはならなかった。

何かちょっとヤバいかも。


そう思い出したタイミングでやっと梅雨が開けたのだ。
日が差してるだけでも気持ちが明るくなる。気晴らしに朝と昼休みに散歩するようになった。外を歩くだけでも気分が違う。どうも動くとメンタルに良い効果があるようだ。
運動が精神的にも良い効果があるのは知識として知ってはいたが、人生も後半に入る50歳にしてビビッドに体感したのだった。

そのうち歩いているだけでは物足りなくなり、走ってみようと思い立つ。数年前、気の迷いで購入したランニングシューズがある。ユニクロのスポーツウェアっぽいTシャツもある。別に東京マラソンを目指してるわけでもなし、近所を軽く走るぶんには充分な装備だろう。スライム相手なら布の服と棍棒で問題無しなのと同じだ。

そんなこんなでオレのランニングライフが始まった。
最初は500メートル先のスーパーが目的地だった。目的は晩酌のビールを購入すること。500メートルくらい余裕余裕と思っていたのだが、走り出してみてビックリ。100メートルで息が切れる。ヒイヒイ言いながら、夏の夕暮れ時におっさんが走る。自分では走ってるつもりだが、たぶん第三者には歩いているようにしか見えない。

今では当たり前のように5キロ走るオレだが、最初のランはフラフラの500メートル走から始まったのであった。


RENE RAUSCHENBERGERによるPixabayからの画像