100メートルも走れなかった男のランニング日誌

走ってセロトニンを増やす! 初心者ランナー(50歳)成長の記録

他のランナーが気になる(2020年9月)

走り方が違うのかもしれない

意識が朦朧とした状態で走っていたレベルから少し成長し、気持ちに余裕が出てきたのだろう。走ることにも慣れてきたところで他のランナーが気になるようになった。ヘロヘロで走っていると、当たり前のように後ろから追い抜かれてしまう。それがバリバリのスポーツマンだったら納得するのだが、70代以上と思しき爺さんや、華奢な女性にも抜かれてしまうのだ。

見た限りではオレの方が筋肉がついている気がする。さすがに爺さんよりは体力があるだろう。しかし、現実に追い抜かれている。なぜ?オレは原因を考えてみた。

もしや、オレの走り方が間違っているのでは?


実際は複数の要素(脚の筋肉が弱い、肺活量が少ない)が重なっていたのだが、この時点ではテクニックの問題だと思い込んでいた。なんといっても体格的に自分より小さく細い人々に抜かれるのだ。経験値が低い状態だとフィジカル以外のところに理由を求めるのは自然だろう。



というわけで他のランナーを観察してみた


大きなストライドで飛ばしているランナー、小さなストライドでゆったりと走っているランナー。意識的に観察していると、ペースの違いはあるが、「慣れてるっぽい」雰囲気のランナーには共通点があるようだった。
ひと言で表現すると跳ねてるように見えるのだ。

スキップほどハッキリした状態ではないが、どうも空中に浮いてる瞬間がある。大きなストライドで飛ばしているランナーは、前に跳ねているように見える。小さなストラドでゆったり走っている人は軽く跳ねていると、スーッと前に進んでいる。そんな印象だ。


 

1キロなら走れる(2020年9月)

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少しづつ距離を延ばす

もともと走るのは嫌いだったので、ランナーとしてどうこうなりたいという気持ちはまったく無く、ただただセロトニンを出したいだけだった。

しかし計測を開始したことで気持ちに変化が生まれた。自分の努力が数値化されることで欲が出てきた。「昨日より長く」「昨日より速く」という感じで、自己記録のアップデートを求め始めたのだ。難しい言葉でいうと「成長実感」を感じるようになったということだ。

記録開始の最初の三日間の距離はこんな感じ。

9/13:1.18キロ
9/14:1.18キロ
9/15:1.74キロ
9/16:1.48キロ

ヤバいくらい短い。
しかし、数百メートルづつではあるが延びている。
当時はこの数百メートルが嬉しかった。

自分の中でも自信がつきはじめていた。
オレ、1キロなら走れる。

この頃は足を速く動かすことが「ランニング」だと思っていたし、呼吸が苦しいのは走ることに慣れてないからだと思っていた。要するに知識が無かったのだ。球技や格闘技のような素人目にも複雑な動きをする競技と違い、「走る」ことは人間にとって日常的で原始的な行動だと考えていたので、「走る技術」というものに思い至らなかったのだ。

 

 

PexelsによるPixabayからの画像

走行距離の記録を開始(2020年9月)

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想定外に続いていた

気分転換のために走っていたのだが、自分でも意外なことに一か月も続いていた。根が無精者で、生きてることさえ面倒くさくなるような男なので運動習慣などあるはずもない。ランニングが一か月も続くなど想定外である。

が、現実に続いている。
その時の状況は、というとこんな感じだ。

<状況>
・通勤がなくなり時間が余っている。
・趣味を持てるような金は無い。
・チームスポーツはスケジュール調整がだるい。

<ランニングのメリット>
・ゆっくり走れば一時間はつぶせる。
・走るのは無料だ。公道に利用料は無い。
・自分の都合のいい時間帯で、自分のペースで行える。
 
結論=ランニングを趣味にしよう。
 

趣味ということは「繰り返す」ということだ。繰り返してるだけだと飽きる。何かしらの変化が欲しい。

変化とは、つまり成長だ。

というわけでアプリでの走行距離とペースの記録を開始した。
2020/09/13 のことである。


走行距離: 1.18km
タイム: 10:07
分/km: 8:34


これが記念すべき最古の走行記録である。
この当時はまあまあだと思っていたが、半年経過した時点で振り返るとマイナスの衝撃が走る。

1キロ弱を走るのに10分って… 生まれたての小鹿か!
いや、、我ながらヤバいくらいの鈍足である。


一方で、違う見方をすれば、一か月で走行距離が10倍に伸びたことも数字が証明している。
なんと 100m→1000m に!

走り始めて一か月弱。
オレは成長実感をひしひしと感じていた。



Gino CrescoliによるPixabayからの画像

オレってどの程度のレベルなんだろう?(2020年9月)

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アプリで記録を始めてみた

セロトニンを出すために走り始めて一か月ほどだったと思う。オンオフ切り替えの儀式として、夕暮れの街を走るのが楽しみになっていた。まさにフェイク通勤だ。
一日の仕事を終え、晩酌のための発泡酒を買うために手頃な距離のスーパーに走る。行きは走るが帰りは歩く。走る行為自体は目的じゃなかった。ただただ一日の区切りが欲しかったのだ。

一方で自分の速さや、実際の走行距離が気になり始めたのもこの頃である。スーパーまでのランをしていると、後ろから走って来たランナーに軽く追い越される経験がしばしば。成人男性ならまだしも、華奢な女の子やけっこうな年配に見える爺さんにまで抜かれて行く。

「オレはセロトニンを出すために走っているのだ」

そう自分に言い聞かせながらも何だか負けた気がする。自分が遅いのではなく、他の人が速いのだ。などと言い訳を考えてみたりするが、実際の速度は不明のままだ。すっきりしたくて走っているのに、走るとモヤモヤするという本末転倒状態。

「計測してみよう」

ということで、iPhoneにランニングアプリをインストールすることにした。
チョイスしたアプリは「Runkeeper(https://runkeeper.com/cms/)」である。数年前にもランニングに挑戦して見事に失敗したのだが、その時にインストールしたのが Runkeeper ぽかった、という極めて雑な理由で決定。ちなみにその時に選んだ理由は覚えていない。

かくしてオレのランニングは「セロトニンを出す」という定性的な目的だけでなく、「距離と速度を計測する」という定量的な評価が加わり、フェーズが変わったのであった。

亀のように足が遅い男(2020年8月)

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運動習慣のない50歳

この世に生を受けて50年。ほとんど運動と言えるような運動をしていない。中学の時に強制的に部活に入れられたくらいで、自主的に運動をするような意欲などなかった。とにかく運動が嫌いだった。炎天下でグラウンドに出るとか、冬の朝に白い息を吐きながら朝練するとか意味が分からなかった。

何のためにエアコンがあると思っているのだ、と憤りを感じてたくらいである。先人たちがどんな思いで文明の進歩に心血を注いでいたと思っているのだ。真夏はエアコンのきいた部屋で文明の恩恵を堪能するのが現代人の務めではないのか。

そんな感じで50代を迎え、運動する意義を見出せないまま初老の門をくぐったのであった。

驚異の1キロ9分ペース

そんな半生を過ごしていたので、当然ながら思ったように体は動かない。おかげさまで五体満足ではあるので「走ろう」と思って、走り出すことはできた。ただ、「走る動作」を理解できてないのでぎこちない感じにはなる。具体的にどうなるかと言うと、「歩く動作」を早く繰り返すことになる。初心者にありがちな脚だけで進む状態だ。上半身を使うような高度な知識は持ち合わせていなかった。

そんな状態の初老が走るとどうなるかというと、異常に進行速度が遅い、という現象が起こる。習慣的にランニングしてる人には分かると思うが、1キロ9分ペースはかなり遅い。しかも距離は500メートルだ。

その当時は「オレっていい線いってるな」と自分を褒めていたのだが、今から考えるとヤバいくらいの鈍足だ。まるで亀だ。

そんな感じでオレの鈍足ライフが始まったのであった。


Plz do not use photos showing people for commercial uses.によるPixabayからの画像

フェイク通勤、始めました(2020年8月)

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今週のお題「告白します」

走る奴の気が知れない、と思っていた

走る奴の気が知れない。ずっとそう思って生きてきた。
無報酬で肉体労働してるようなもんじゃないか。「体を動かすと気持ちがいい」と言う奴もいたが、生まれつき体力があり余ってるんだろうと思っていた。なにせオレは動くのが嫌いなのだ。いちど座ったら立ち上がりたくないタイプだ。小便をもらすギリギリまで座っていたい。可能なら誰か代わりにトイレに行ってもらいたいくらいだ。

いかに省エネで日々を過ごすか。コスパのよい生活が人間の価値を表しているのだ。

そんなデブメンタル(実際の体形は中肉)が自主的に走り始めたのから、コロナ自粛期間の夏がどれほどの閉塞感だったか想像できるだろう。
長い梅雨が開けたら連日30度超えの猛暑が続く。我が家は築30年の木造家屋。出かけようにも自粛期間。可能な気晴らしは限られている。区のスポーツジムは閉鎖中だし、民間の施設も同じような状況だ。個人の裁量で可能な行為。

消去法で残ったのがランニングだった。

フェイク通勤

オレは寝起きが悪い。朝が苦手だ。早朝マラソンしてる奴の気が知れない。そういう感じなので走る時間は夕方にした。18時過ぎにリモートワークを終えても夏の夕暮れはまだまだ明るい。気温も高いままだ。仕事とプライベートの境界線を設けるのにはちょうど良い時間帯だと思った。

その時は無意識に「切り替え」の方法を探っていたのだと思う。後から知ったのだが同じようなモヤモヤを抱えていた人はいたらしい。こんな記事を発見したのだ。


通勤の代わりにランニング。
嫌いだった通勤の代わりに嫌いな運動をするオレ。
必死に嫌いなことを求めるオレ。
ちょっと意味が分からない。

そんな感じの2020年の夏であった。

ヤバい、セロトニンが足りない(2020年8月)

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お題「#この1年の変化」

ブログを始めた理由

ランニング(というかジョギング)を始めて半年がたった。もう習慣と言っても差し支えないだろう。全く運動習慣のなかったおっさんが、一日おきに5キロのペースで距離を積み上げている。今ではランニング予定日に走れないと何となく気持ちが悪い。飽きっぽいオレだがこの習慣は続けられそうだ。そう、趣味ではなく習慣なのだ。

何となく気分転換に走り始めたのだが、半年も継続すると自分の成長を残しておきたくなるのが人の情というものだ。そんなわけで自分の身体とメンタルの変化の記録がこのブログなのである。

セロトニン活動とは

朝の活動は朝活、パパとの活動はパパ活セロトニンを出すための活動は、やはり「セロ活」が妥当だろう。英語っぽくすると「セロトニング」かな。セロトニンを分泌させるための行為ということで、名詞(セロトニン)+現在進行形(ing)=セロトニング、である。

唐突にセロトニンの話題から入ってしまったが、このブログのテーマはランニングを通したオレの成長日記であり、同時にランニングでメンタルの安定を試みた記録の書でもある。

ランニングの記録とセロトニンに何の関係があるの?という方のために説明しておくと、走ると脳内にセロトニンという物質が分泌されるのだけど、それが不安やらネガティブな感情を緩和させる作用があるのだ。

つまり、オレは「不安を緩和させる」という後ろ向きの理由でランニングを始めたのだった。


走るきっかけ

2020年に50歳の節目を迎えたのだが、人生の後半に差し掛かろうというタイミングで日本はコロナが蔓延したわけだ。オレの勤め先はIT系なので、春先に即座にリモートワークに移行し、緊急事態宣言にともないGWを超え梅雨が過ぎ、異常な猛暑が訪れてもエンドレスで自宅勤務のリモートワークだった。

リモートワークの人なら経験してると思うが、起きて寝るまで自宅、平日も休日も同じ空間にいるのは気が滅入る。環境でオンオフの切り替えができないので、延々と会社に繋がれている気分になる。あんなに嫌だった通勤が、気持ちを切り替える儀式になっていて、それが有効だったのだと思い知った。

フリーランスであれば自由にカフェやらコワーキングスペースやらで仕事することもできたのだろうが、何と言ってもコロナ禍である。会社からは「自宅で勤務」という縛りが設けられていたのだ。しかも2020年の梅雨は長く湿度も高めであった。自宅に閉じ込められ、外は雨。何ならカビも生えまくりだ。閉塞感はマックスに達していた。

そんなわけでリモートワークは「自宅の刑」に変容しつつあった。


梅雨が開けた

長い梅雨の終わりの頃には、出社してた時のイライラとは違う、何だかよく分からない不安感が沸くようになっていた。毎日のように酒を飲んでいたのだが、まったく気分転換にはならなかった。

何かちょっとヤバいかも。


そう思い出したタイミングでやっと梅雨が開けたのだ。
日が差してるだけでも気持ちが明るくなる。気晴らしに朝と昼休みに散歩するようになった。外を歩くだけでも気分が違う。どうも動くとメンタルに良い効果があるようだ。
運動が精神的にも良い効果があるのは知識として知ってはいたが、人生も後半に入る50歳にしてビビッドに体感したのだった。

そのうち歩いているだけでは物足りなくなり、走ってみようと思い立つ。数年前、気の迷いで購入したランニングシューズがある。ユニクロのスポーツウェアっぽいTシャツもある。別に東京マラソンを目指してるわけでもなし、近所を軽く走るぶんには充分な装備だろう。スライム相手なら布の服と棍棒で問題無しなのと同じだ。

そんなこんなでオレのランニングライフが始まった。
最初は500メートル先のスーパーが目的地だった。目的は晩酌のビールを購入すること。500メートルくらい余裕余裕と思っていたのだが、走り出してみてビックリ。100メートルで息が切れる。ヒイヒイ言いながら、夏の夕暮れ時におっさんが走る。自分では走ってるつもりだが、たぶん第三者には歩いているようにしか見えない。

今では当たり前のように5キロ走るオレだが、最初のランはフラフラの500メートル走から始まったのであった。


RENE RAUSCHENBERGERによるPixabayからの画像